“愛するものよ、見よ、あなたは美しく、まことにりっぱです。”(雅歌1章16節)
旧約聖書の中で、雅歌においては、男女の愛について歌われていますが、雅歌では男女が相手に対して、あなたは美しい、ということを言い合っていますね。男性から女性にだけでなく、女性から男性にも言われています。雅歌はキリストと教会との愛のメタファーといわれていますが、教会がキリストの花嫁、という比喩が黙示録の中にもあるところを見ると、納得がいきます。ところで、この美しいという言葉の漢字、美は、羊という字の下に大きいという字が書かれています。大きな羊、つまり、捧げものの大きな羊は神の目に麗しい、という意味だそうです。中国から来た漢字は、その成り立ちに、聖書的な意味合いもあり非常に興味深いです。 私たちは何かを美しいというときに、形が整ったきれいなものをさすこともありますが、捧げられた大きな羊、という語源は、形よりも捧げる魂の美しさについて思わされます。主イエスのように神にささげられた人生は美しいのではないでしょうか。 この世の中で美しさは、権力、政治的な力、お金の力がかかわっていることがよくあります。大体豪華絢爛に飾り立てるのには、経済力が必要です。そして、主イエスが白く塗った墓、といわれるように、表面だけ奇麗でも、中身は対照的なものもあります。しかし、神の目線において、美しさはこの世の力や表面のきれいさとは関係ありません。私たちの日々の行い、捧げる心が神の御前で、美しくありますようにお祈りします。(Yuki Scroggins)
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